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喪失感

今日、喪失感という感じの気持ちに襲われた。

 

虚無って言葉が便利すぎて使いたくないんだけどまさしくあれで、その気持ちになるとよく分からんがとりあえず動けなくなり、ただ何となくボーっと自分を振り返る事になる。

 

喪失感の原因は自分が先日、自分が作った部活動の部長を後輩に譲った事に起因していた。

 

譲った事で僕は肩の荷が降り、楽になった。今はまだ4月でそれを体感できてないが、もう少し時間が経つとよりそれを実感できる事だろう。

嬉しい事に部長を譲った後輩は想像以上に自分が作った部活動のメンテナンスをしっかりしようとしてくれており、正直心底嬉しくて1人家で涙を流したのはここだけの秘密である。

人が自分が作ったものをより良い形で継承してくれるというのは、本当に嬉しいものがあった。

願わくば後輩が後輩1人で頑張りすぎないように、負荷を感じない様にあくまで楽しくやってくれたらと思う。

 


さて、喪失感についての話になるが過去の話なんて手短に書くとして、割とがむしゃらに頑張ったような気がするのである。

部活動を作ったあの瞬間から今日まで、頑張ったような気がするのだ。〝ような気がする〟と言うのはまた可笑しな言い方だが、それは僕自身があまり頑張っていたと感じていない事に理由がある。

 

部長として、部を作った人として土台を作るために当たり前の事を、部として成り立たせるために、僕でも出来ることはなんだろう、どこまでやったら認められるだろうーー。

 

不確かな部活動へのアプローチをしていくのは正直楽しく、そして存外認められてしまった。日常のルーティンの様な感覚で雑務をこなしていると余り自分に対して頑張っていると言う感覚も起きなくなる。

 

部員1人1人が輝いている人達ばかりで、そんな人達に僕はついていけるだろうか。その人達が望んでる僕になれるかな、無理してでもカッコつけたかった。部長としての仕事をこなしていないと誰かに呆れられる気がして心底怖かった。そして、僕はその為の見栄っ張りに余り疲れなかった。結果的にはそれで色んなことが出来た。

 

その感覚を手放すのが正直怖い。僕はその見栄っ張りに依存して毎日を過ごしていたような気がするから。

ただ、それももう甘えだとここ半年ほどは感じていた。惰性で得られる刺激は本当に自分をダメにすると思う。

 

つまり僕にとって天地創造部は自分の中のそんな見栄っ張りな部分を押し付ける場所だったのかもしれない。

自分が見栄っ張りで行動力のある自分で居られる唯一の場所。本当の僕はもう少し自堕落で何も出来ない、そんな甘い生活をもうそろそろ望んでる、気がする。更にダメになろうとしている気もするが…。

 

そうやって色んな感情を天地創造部に積んでいって、僕は自分が思うよりこの部活に執着してしまっていたみたいで、しかし部活動とは面白いもので、ポコンと新しい部員が増え、代替わりして行く。寂しいが、交代の時間が来た。

 

自分の作ったものが立派に歩き出そうとしているのを見るともどかしく、正直松葉杖にでもなって助けてあげたい。

しかし私は不器用で、車になるか助けないかくらいの100と0の選択肢しか作れない性分であった。ここで車になってはせっかくの苗木も育たないので、自分のような木から出た苗木ならほっといても大丈夫だろうと、オロオロしながら見守ろうと思う。

 

さぁ、この1年で僕は何を作るか。部活動に打ち込んできた全ての活力は一体何処に行くんだろうか。今日はしっかり寝て、明日自分が作るものの事を考えよう。そしたら凄く楽しみになってくる。

 

少し寂しいけれど、僕の中に新しくやりたい事が沢山あるのも事実。

そんな自分の1年間にちょっとだけ自分に期待している。